古本の楽しみは読む以外で・・・

古本を嫌う人も大勢居ますが、私は嫌いではありません。

確かに古本は、誰かが読み終わって、「不要」と言う事で売り払われた物が多いです。
ページの端が折ってあったり、マーカーでラインが引かれていたりします。
これらは、キレイな状態とは言えませんが・・・これが古本の「味」だと思えば、さほど気にはなりません。

特に、資格関係の参考書読んでいると、前の持ち主が熱心に読んだのか、いろいろな書き込みを目にします。
とんでもないところにマーカーが引いてあって、さらにペンで「重要」と書いてあるのを見た時は、試験受かったのかなと、他人ごとながら気になります。

この様に、前の持ち主の「生活」や「性格」の一旦が垣間見えるというのが、古本の面白いところです。

この他、しおりの代わりなのか、いろいろな物がページの間に挟まっています。
例えば、ビジネスホテルのレシート。
仕事熱心な会社員が、出張先に持って行って本を読んだのでしょう。

でも、レシートの明細を見ると、ビールとか飲んでたりして、本当に仕事熱心なのか、ちょっと不安になったり。

普通の紙製の栞も、全国の書店の物や、いろいろな出版社の物があって、なかなか面白いものです。
内容も、ちょっと前の映画(文庫が原作)の広告だったりすると、当時を思い出して、ふと懐かしい気分になったりします。

一度、「四つ葉のクローバー」が挟まっているのを見つけた時は、ラッキーな気分になりました。
まぁ、あまり栞に向く物ではないので、挟んでそのまま忘れてしまったのかも知れません。
持ち主は、幸運を逃しやすいタイプと見ました。

困るのはハガキや写真など、プライベートな内容の物が挟まっている場合です。
これは、自分にはどうする事もできません。
ただ、「大事な物で無いといいなぁ」などと思うくらいです。

この他、洋書を古本屋で買うと、外国の新聞の切り抜きや、スーパーか何かのクーポン券が挟まっている事があります。
恐らく、私がその国や、その店に行くことは無いのだと思いますが、なんとなく地図で調べてみてしまったり・・・。

古本と言うのも、なかなか面白いものだと私は思います。

・本に関する参考サイトの紹介・
オススメの洋書で英語力アップ

自分の内面と本棚の関係

自宅の小さな本棚の前でいつも悩むのが、どの本を残し、どの本を処分すれば良いのか?ということです。

賃貸暮らしなので全ての収納に限りがあり、それほど興味のない服や靴、食器などは結構数を絞ることができるのですが、趣味の読書となるとちょっと難しいのです。

10代20代30代とそれぞれの年代で夢中になった本は違いました。
10代は、親からもらうお小遣いからお昼代やジュース代を削って買ったマンガや本がいつもそばにありました。
20代は、会社帰りの書店のはしごが習慣でした。毎日行っても毎回新しい発見、新しい本との出会いがあることに驚きました。
もらったお給料で家賃や光熱費を支払ったあとで、好きなだけ本を買える自由が本当にうれしかったです。
そして30代は、結婚と出産、育児で読書の時間が大幅に減った時期でもありました。
小さな子どもを連れてはなかなか以前のように本屋をはしごするのも難しく、ネットの本屋さんにはだいぶ助けられました。実際に手に取れないため、ジャケ買いやレビュー買いで失敗することもありましたが、夜中でも子どもの昼寝中でも好きな時間に注文できるのは、育児中の読書の救世主でした。

書店へ出かける代わりに、子どもと一緒に近所の図書館へ出かけて親子で山盛り本を借りる楽しさも知りました。
いくら借りてもいくら読んでもお金がかからないので、経済的に厳しい中でも読書だけは楽しむことができました。
10代から30代に集めたマンガや小説の本棚も、置き場所がなくて手放したり、誰からに貸したまま戻らなかったり、飽きて処分したりと、人生と共に大きく変化しました。

限られた収納のため、その時一番好きな本だけを残すことにして現在に至ります。
本棚を見れば、その時の自分の人生ベストがわかります。
自分の内面と同じで、少しずつ変化していくこの本棚がこれからどうなっていくのか楽しみでもあります。

でも、できればもっと大きな本棚を置ける家に住んでみたいものだと思います。

・本に関する参考サイトの紹介・
本棚.com
日本図書館協会

本を読みふける私

私は小さいころから、本を読むことが大好きです。
父親が古本屋をしていたこともあり家の中にも古本が多くありました。

今では難しい本も少しは読めるようになりましたし、図書館に毎週通うまでになりました。自主的に本を読むようになったのです。

一時期、父親に対する反抗心から古本から離れている時期があったのですが、突然本を読みたくなり、今のようになりました。
昔はもちろん児童書も読んでいましたが、それと同時に、赤毛のアンやシャーロックホームズを夢中になって読んでいました。偉人の伝記を読んでいた記憶もあります。

・本に関する参考サイトの紹介・
シャーロックホームズの情報
赤毛のアンの情報

とにかく、活字が大好きな子供で、休み時間でもずっと本を読んでいた気がします。
本を読まなくなったのは、勉強が忙しくなったからかもしれません。それでも、周りの友人よりは読んでいたと思います。

ただ、特に中学時代ですが、何を読んでいたのかと聞かれたら、ほとんど覚えていません。
それほど、読書に時間を費やせていなかったのかもしれません。

今となっては、もったいないことをしたと思っています。
ですが、中学のときに必死に勉強をして高校に入って、そこでかけがえのない友人との出会いをたくさんしたので、後悔はしていません。

ただ、もう少し時間をうまく使えていたら、とは思ってしまいます。そういえば、高校の図書館にはほとんど行きませんでした。
自分の読みたい本がほとんど無かったのです。小説が極端に少なかった記憶があります。
だからか、地元の図書館ばかり行っていました。

その頃くらいから、ミステリーばかり読んでいた気がします。最近のシリーズもの、昔の短編集、オカルトチックなものまで、夢中になって読みました。
それと同時に挑戦していたのが源氏物語なのですが、いつまでたっても読破出来ません。
光源氏の女癖の悪さに呆れてしまい、読み続ける気力が薄れてしまうのです。

ですが、途中で断念するというのも悔しいので、いつか再開して、最後まで読もうと思っています。

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アガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』を本の感想

アガサ・クリスティーの「春にして君を離れ」について感想です。

主人公が、出産のため体調を崩した娘を見舞いにバクダッドまで行き、イギリスまで帰るまでの間のお話です。

彼女は年の割には若々しく、魅力的で社交的で、ある意味完璧な女性です。。。と自分でも思っているところが、鼻持ちならないくらい嫌な感じがします(でも悪い人ではありません)。
その彼女が帰りの列車の中で、学生時代の旧友と再会するところから物語は始まります。
身なりもだらしくなく、品性のかけらもなく落ちぶれた友人を、彼女はひそかに軽蔑します。
でもその友人との会話の中の何気ないひと言が、これからの彼女の旅を苦しめることになります。

友人と別れたあと、彼女は今回の旅の目的と結果について考えます。
自分のおかげで娘の具合もよくなったし、きっと感謝してるに違いない、やっぱり私がいなければ家族は駄目なのだわと満足したりします。
でも不幸なことに、彼女の乗った列車は砂漠の真ん中で故障のため立ち往生してしまいます。
何もない砂漠で、読む本もない。話す人もいない。そこで彼女は自分自身と向き合う時間を、神さまから押し付けられるわけです。旧友が言ったあのひと言がきっかけで。

今まで自分がよかれと思ってしてきたことは、実は間違いではなかったのか。
ふとした日常の些細な出来事の中に、実は重要な何かが隠されていて、自分はそれを見過ごしてきたのではないか。
夫は、娘たちは、私のことを本当に必要として、頼ってくれていたのだろうか。
愛していてくれているのだろうか。

1人の時間がたくさんあるときに一番怖いのが、訳もなく昔のことを思い出すときで、それは気がつかずにいればよかった真実にたどり着いてしまうことがあるからだろう。

さて、彼女は無事イギリスへ帰ることが出来たわけだけど、その後どうなったのでしょう。家のドアが近づくにつれて、ある決断を迫られている彼女は、いったい最終的にはどちらを選んだのでしょう。

ラストの彼女の夫の言葉が衝撃的だった。
これから一番近くで、一番長く過ごす人にそんな風に思われるなんて、私だったら恥ずかしくて情けなくて、どうしようもないやりきれない気持ちになると思う。

・本に関する参考サイトの紹介・
早川清文学振興財団のアガサ・クリスティー賞

内田樹著『先生はえらい』を読んだ感想

ここのところ内田樹さんの本を続けて読んでいます。

この本は題名がおもしろいです。

「ひとりでは生きていけないのも芸のうち」「下流志向」など、内田さんの本は題名に惹かれるものが多いように思います。

先生はたとえ何一つ教えてくれなくても生徒が「えらい」と思えば学びの道は開かれます。いまの学生たちは尊敬できる先生に出会えていないのは不幸です。モデルになる先生に出会えたら幸せです。
出会いは偶然ではなく、運命的必然です。

誰も知らないこの先生の素晴らしいところを「私だけが知っている」という感じは恋愛に似ています。

学ぶというのは知識や技術を教えてもらうことではありません。
自動車の運転免許を取得する学校の先生のことを年月が経っても覚えているでしょうか。

「自分が思っていること」は話す相手によって変化します。
私たちは相手に対して話します。相手に応じて話す内容も変化します。

ルネッサンスの頃に、大航海時代というのがありました。
ヨーロッパの人たちは海図もろくにない時代に新大陸や「黄金の国」を目指して交易圏を広げていきます。
金銀や奴隷や特産品を得るために探検航海を推進したという市場経済的な説明がされますが、内田さんは疑義を投げかけます。
これは「交換への欲望」だったといいます。

コミュニケーションでは、「もっと話を聞かせて、あなたのことが知りたいから」と言われるとうれしいです。相手に気遣われていると生きた心地がします。
無視されていると生命が弱々しくなります。
「シカト」が残酷なのはその人を存在しない人間のように扱うからです。
「おまえはもう死んでいる」というのは、「殺してやる」よりも残酷です。

わたしたちが敬意を抱くのは謎の先生です。
夏目漱石の「こころ」の先生と「三四郎」の「偉大なる暗闇」というような、なんだかよくわからない先生、満たされなさにとりつかれた先生が例として挙げられています。

先生の本当の「えらさ」や教育の達成度というのは数字で査定できるものではないということを知って、業績評価は行われるべきでしょう。

娘を見習ってもっと本に親しまなければ・・・

皆さんは本が好きですか?どのくらい本を読んでいますか?

私はお恥ずかしいことにあまり本を読んでいません。
決して本が嫌いなわけではないし、たまに本屋さんで本を買うくせに、なかなか最後まで読まないで中途半端になってしまっている本が多いのです。

また、子供によく指摘されるのですが、私が買う本と言えば小説などではなく、ハウツー本自己啓発本がほとんどです。
簡単に~を手に入れるみたいなお得感のある内容に惹かれて買ってしまうことが多いのですが、最後までは読まないことが多く、そのままになってしまっているものが多いので反省しています。

・本に関する参考サイトの紹介・
自己啓発本ランキング

私には娘が二人いるのですが、娘たちは二人共本が好きでよく読んでいます。
特に高校生の長女の方は、小学生の頃から本が好きでよく読んでいました。中学生になると更に本好きになったみたいで、私が見るといつも本を読んでいるくらい、よく本を読んでいました。
多い時は一ヶ月に30冊以上読んでいましたし、本が好きなので苦痛にも感じず、本の世界に入ってしまっているくらい好きな内容のものは特に集中して読んでいました。
私はそんな娘の姿をいつも見ていて、自分の娘ながら尊敬しています。特に歴史物やファンタジー物が好きみたいで、気に入ったものは特に夢中になって読んでいます。
私が今までの人生で読んだ本のいったい何倍、いや何十倍の本を読んだことでしょう!?もしかしたらそれ以上かもしれないくらい、本当にたくさんの本を読んでいます。

娘は中学生の頃、あるコンテストで2年連続表彰されたのですが、それはやはり日頃の読書によって培われた文章力なども影響していると感じました。
自分の考えや意見を述べたのですが、それを書く時も一切私に聞くこともなく、本当に一人で仕上げていましたので、読書で得た力はとても大きいと思います。

本を読むことは知識が増えるばかりではなく、意味を理解したり、気持ちを読み取ったり、文章力を養ったりと本当に大切なことだと感じています。

私も少しは娘を見習って、もっといろいろな本を楽しんで読むようにしたいです。

ページをめくるワクワクとドキドキが読書の醍醐味

読書好きの私としては、読みたいと思った本はすぐに買ってしまいます。

そのため現在の蔵書はおよそ1000冊で、狭いアパートの部屋が増々狭くなっています。
読み終えたものから売るなり捨てるなりすればいいのでしょうが、
一度読んでしまうと愛着が湧いてしまって、手元に置いておきたくなるのです。

それに、本を読むこと自体が私の歴史の1ページになっているので、
それぞれの本の中に様々は思い出や感情が溢れていて、いつまでも大事にとっておきたくなってしまいます。
新刊だけではなく、古書を買い求めることも多々ありますが、その場合、衝動買いが多いような気がします。

古書街などをぶらぶらしていて、タイトルや表紙に惹かれると、知らない作者の本でもついつい欲しくなるからです。
本の厚みにもよりますが、1冊の本は大体1~3日ほどで読み終えます。
ものすごく面白いと思ったものは人に勧めますが、好みもあるので、余り強くは言いません。

その代わり、みんな私が読書好きで本の知識は割とあると知っているので、色々質問してきますから、
それには丁寧に答えるようにしています。
ただ、自分が好きな本の感想などを求められると、大興奮しながら話をしてしまうので、つい話が長くなってしまいます。
最近では携帯電話で小説を読む人などもいますが、私は絶対に紙じゃないとダメなタイプです。

本は前のページをすぐに読み返すことができますし、自分で読んだ目安がわかるので、
どれくらい夢中になっているかのバロメーターになります。
そして何よりページをめくるという作業がとても大好きです。
ページをめくるたび、次のページには何があるのか、どんな世界が待ち受けているのか、
そのワクワク感やドキドキした気持ちは「めくる」という感触と一体になっています。

また、買ったばかりの本のにおいもたまりません。
文字からにおいが出てくるというか、このページを見るのは私が最初なんだと思うだけで、幸せな気持ちになってきます。
本というものは物語を運んでくれるだけではなく、その物質がもたらす様々は現象までも私の中の時の一部として刻まれます。

だからこそ本は手放せません。これからも本をたくさん買って、ページをめくっていきたいです。

・本に関する参考サイトの紹介・
国立図書館
ブック・キープ・サービス

小学生時の本の記憶

私が本の面白さに目覚めたのは小学校の図書室でした。

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大人になった今見ると、きっと小さな図書室だったと思いますが、小学生だった私にはとても広くて絵本から本格的な小説まで、あらゆるジャンルの世界があふれる夢の国でした。

中でもポプラ社から刊行されていた江戸川乱歩の少年探偵シリーズにはまって、胸をわくわくさせながら読んでいたのを覚えています。

今ではポプラ社のこのシリーズは絶版になってしまい他社から刊行されていますが、私としてはあの挿絵も含めて思い入れがあったので、ポプラ社以外のものは認められない、と思っていました。
あんなに好きだったのだから、当時親にねだってでも買い揃えておけばよかった…と悔やんだものです。
そんな時、ふらりと立ち寄った古本市でそのポプラ社の少年探偵シリーズに再会したのです!

・本に関する参考サイトの紹介・
ポプラ社のサイト

比較的程度も良い美本が何冊か固まって売りに出ていました。
このシリーズは全部で44巻。当然一度に出てくるものではないけれど、ある程度固まって出ているから、あとは気長に集めていけば…、そう思い、そこにあるだけのシリーズ本を大人買いしました。
子供の頃大好きだった本、絶版になってしまってもう手に取ることもないと思っていた本が思いがけず手に入りました。

それからは古本市や古本屋を覗いて足りない巻を探し歩いたり、ネットオークションに出ているものを探したり、どうにかこうにか全巻揃えることが出来ました。なんとも言えない達成感でした。
図書室から何度も貸りて読んだ本。ページをめくると当時のことすらよみがえってきます。

中学、高校も当然のことながら図書室はありましたが、小学校の図書室のようにわくわくするような本との出会いは少なかった気がします。
やはり私の中では小学生の頃に読んだ本が未だに鮮烈な記憶として生きているんだと思います。
残念ながら私の小学生時の本は絶版本が多く、手に入れるにはプレミアがついているものも少なくありません。
それでもネットなどで検索してヒットしたり、古本市で思いがけず手に入れることができた時の喜びは格別です。

私はこれからも小学校の思い出とともに、当時読んだ本を探し続けることでしょう。